須坂の夏を彩る魂の祭り──芝宮墨坂神社「弥栄祭」!

須坂の夏を彩る魂の祭り──芝宮墨坂神社「弥栄祭」!

古の祈りを今に伝える「弥栄祭」とは?

長野県須坂市で毎年7月21日~25日に開催される「芝宮墨坂神社 弥栄祭」は、千年以上の歴史を持つ芝宮墨坂神社の夏祭りであり、市民にとっては“魂の祭り”とも言える存在です。

この祭りの起源は、古代奈良・宇陀の「墨坂神社」を本宮とする神々の信仰に端を発します。特に、病魔退散・厄除の神として名高い「牛頭天王(ごずてんのう)」をお祀りしており、古来より疫病や災厄を鎮め、人々の無病息災・家内安全を祈る行事として続けられてきました。

祭りの幕開け「天王下ろし」──神が町におなりになる瞬間

祭りの初日、最大の見どころの一つが「天王下ろし」と呼ばれる神事です。

神社の奥に鎮座される牛頭天王の御神体を、芝宮の御仮屋(おかりや)へとお迎えするこの儀式は、まさに祭りの始まりを告げる神聖な時間。神職による厳かな神事が執り行われ、町全体が「神を迎える」という緊張と期待に包まれます。

須坂の誇り、十数台の「笠鉾」──その意味と美しき造形

祭り期間中、天王神輿の御巡行に付き従うのが、市内各町が誇る十数台の「笠鉾(かさぼこ)」です。

笠鉾とは、古くは神の依代(よりしろ)を乗せた「神の乗り物」。その形状は、傘のような屋根に長い心棒を立て、その上に町ごとの伝承・故事にちなんだ「依代(よりしろ)」を据えるという構造。各町の誇りと個性が凝縮された“移動する民俗資料”とも言える存在です。

本上町(ほんかんまち)の笠鉾と「鶏と太鼓」の故事

例えば、本上町の笠鉾には、依代として「太鼓の上に鶏」が据えられています。

この鶏は、夜明けを告げ、異変を知らせる象徴として、古くから「神意を伝える存在」とされてきました。火急のとき、太鼓を鳴らして鶏が鳴けば、人々に災いを知らせ、町を守る役目を果たしたといいます。

この依代は、「非常時に真っ先に動く」「町を守る警鐘」として、町人たちの誇りと感謝が込められているのです。

祇園祭とのつながり──京都からの文化継承

実は須坂の笠鉾文化は、京都の祇園祭に強い影響を受けているとされます。

京都の祇園祭も、同じく牛頭天王を祀る八坂神社の祭礼であり、町衆の力で支えられてきたという点が共通します。京都では「曳山(ひきやま)」が主役ですが、かつては“笠鉾”と呼ばれる形状も2台ほど存在したとされ、町内を抱えて練り歩くスタイルであったのに対し、須坂の笠鉾は滑車付きの台車に設置し、人力で曳くという形式に進化しています。

造形の違いこそあれ、「町人が神と共に町を巡る」という精神は、まさに“祇園祭の魂”が須坂にも受け継がれている証といえるでしょう。

全国の代表的な笠鉾登場祭り(3選)

  1. 長崎県:長崎くんち「傘鉾(かさぼこ)」
     → 各町の“龍踊”や“傘鉾”が登場し、異国情緒と日本文化の融合を体現
     
  2. 富山県:魚津たてもん祭り
     → 高さ16mもの巨大な“たてもん”に灯りがともる幻想的な笠鉾
     
  3. 京都府:祇園祭の傘鉾(例:保昌山)
     → “山鉾”の一部として、軽量で機動性のある「傘鉾」がかつては巡行
     

祭りのクライマックス「天王上げ」──神と別れ、また来年へ

7月25日宵、各町から灯籠が繰り出され、天王神輿に付き従って夜の須坂を巡行する「天王上げ」が行われます。

御仮屋での神事の後、神輿は芝宮墨坂神社へと還御。市民はこの1年の無事に感謝し、次なる1年の安寧を祈ります。そして、夜空を染める花火と共に祭りの幕は閉じ、牛頭天王は静かに社に戻られるのです。

結びに──町と神と人が一体になる「弥栄(いやさか)」の精神

芝宮墨坂神社の弥栄祭は、単なる伝統行事ではなく、「町と神が共に生きる」という信仰と誇りの象徴です。猛暑の中、勇壮に引かれる笠鉾、息を合わせて練る若者たち、道端から拍手を送るご年配の方々――須坂の夏が、ここに息づいています。

どうか一度、須坂の夏、弥栄祭を訪れてみてください。
そこには、千年を超えて受け継がれてきた「町の魂」が、今もなお燃え盛っているはずです。

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